反バンビ症候群
駄目となりました。なんぼ気の毒

 小泉八雲=ラフカディオ・ハーンの日々の暮らしをセツ夫人が愛情をこめて回想した『思ひ出の記』という一遍を、ハーンの作品集『天の川幻想』で読むことが出来た。
 ハーンについて書かれた作品や映像などにたびたび引用される、彼独特の日本語。時にその拙さがこっけいでもあるけれど、純粋で美しい響きをもつ会話の記録に触れるたびに、その元本といわれる『思ひ出の記』を通して読んでみたいものだと思っていたのだ。
 例えば、夕焼けがきれいだからと大声で夫人や子どもたちを呼び集め、
「一分後れました、夕焼け、少し駄目となりました。なんぼ気の毒」
 と残念がった話など。特に日本の風景や文化が少しずつ失われていくのを惜しむ言葉に、日本語を母国語とする者の言葉にはないまっすぐに胸に届く力を感じるのである。
 その余韻が頭の隅に残っていたからだろうか。ある夜、夕食の片づけの合間にテレビの音だけを聞いていたら、なぜか「ハーンがしゃべっている―― ?」と思ってしまったのだ。
 それがわたしの勘違いであるのは、すぐに分かった。テレビには、ヤシの木を背にした短パンに素足の色黒な老人が映っていたからである。しばらく見ていて分かった所では、老人は南太平洋に浮かぶヤップ島の大長老であるらしい。
 ミクロネシアは明治時代から日本の南洋貿易の拠点であり、第一次大戦から太平洋戦争が終わるまで日本の統治領だった。ヤップ島でもその時代に育った人は、日本語を上手に操る人が多いと聞いたことがある。長老はカメラに向かって、若い島民がアメリカ文化に憧れ、島の自然をないがしろにすることを嘆いていた。ハーンと混同したのは、そうした共通点があったからかもしれない。しかし画面に引き込まれるうちに、勘違いの原因は長老の語る日本語にあると気がついたのだ。
 幼い頃に使ったきりの、決して流暢とはいえない日本語。しかし(自分のような老人が死に絶えたあとの、島の自然を憂いて)
「いやなのです。ボクがいなくなったら、静かなところ、なくなります」
 という彼の言葉。また他の老人が、海まで続く広くて便利な道路を造るのになぜ反対なのかと聞かれて、「島の人はね、木のあいだから海、見るのが好きなんですよ」
 と答えたつぶやき。まるで子どもが使うような単語で、ごく当たり前のことを語っていて、これほどきれいな日本語は久しく耳にしていない気がした。特に、テレビなんてシロモノからは。
 もし彼が日本語でなくヤップの言葉を使い、テレビ局がそれを翻訳する造りだったとしたら「ワシらはなぁ、島が騒がしくなるのが嫌なんじゃあ」「島の者はの、木と木のあいだから見える海の方が好きだべ」なんてピンク色のテロップが流れたかもしれない。お決まりの、陳腐な、差別意識の匂いを漂わす、濁った日本語。そんな想像をしてみると、なおさら長老たちの日本語が貴重な宝物のように思えてくるのである。
 早いうちに原産地から切り離されたことで、辛うじて絶滅を免れてきた希少種のような日本語。しかしそれも、まもなく駄目となります。なんぼ気の毒。
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